冒頭の言葉は江戸期の寺子屋の教育における指導者向けの指南書「寺子教訓之書」(宝永二年/一七〇五年)に見える言葉です。この指南書は江戸期全般に亘り広く流布し、寺子屋教育の基礎をなしました。寺子屋は「手習塾」「筆蹟稽古所」とも称され、その学習内容は、毛筆による習字を中心に据え、それに算術を加えたものでした。寺子屋は単に読み書き計算を教えるだけでなく「学問は身の行ひ、志を直さんためなり」と定め、日常の生活態度についても、手習いを通して教育していました。
習字の大切さについて述べている江戸期の文献は多く、例えば「幼童諸芸教草 手習」(一八四四~一八四七年頃)には、「およそ人の手にてものをなす事多かる中にも、もの書く技なん、万に立ちまさりける」と手習いの必要性を述べています。思考を通した手作業は前頭葉の広い領域の活動を促します。その作業が細かさや連続性を高めることにより前頭葉のさらなる高次な機能を担う領域を刺激します。
このような手書きと脳の活動についての研究は現在、神経心理学の分野で行われています。言語聴覚士の毛束真知子先生は手書きと脳の活動について研究をされており、以下に紹介したいと思います。
—— 文字や単語の聴覚的イメージに対応する視覚形態、手指運動が連合され、あるレベルまで自動化された熟知運動としての書字機能が確立される、この学習過程は、視覚、聴覚、運動などの意識に上る機能だけではなく、手指の感覚や視空間認知など情報処理が潜在的に行われる機能によっても支えられており、多くの神経システムが書字の脳内ネットワークに組み込まれることになる。
さらに、我々が実際に文章を書き下ろす状況では、感情、認知、記憶という個人内部の要因に加え、文章を書く対象や用いる手段など個人を取り巻く環境要因全てが書き手に影響を及ぼすこととなり、Hayes and Flower( 一九八〇) をはじめとする書字メカニズムの現在の包括的な認知モデルは極めて幅広い視野を持つものとなっている。このようなマクロな観点からみると、書字の脳内機構に関わらない脳部位はほとんどないのではないかと思えるほどである。—— 第二十六回日本神経心理学会総会予稿集/二〇〇二年「書字の脳内機構・書字の運動変換について」より
手書きとタイピングの脳活動の違いについての研究も進んでおり、紙に手書きすることの価値が見直されてきています。二〇〇六年から学校に一人一台のタブレットの配布を進めてきたICT先進国スウェーデンでは、紙に手書きする教育への回帰が始まっています。これは生徒の読解力の低下が明らかとなったためで、スウェーデンでは二〇二四年七月から、すべての生徒に紙の教科書の配布を義務付けると共に、紙とペンの積極的活用へと政策を転換しています。
先達から学び、活力に溢れた豊かな日本を取り戻したく、年頭の挨拶とさせていただきます。