何を伝えるか どう伝えるか(2026年4月号)

 LINEの文章などに句点の符号を付けることを、マルハラと呼ぶといいます。「ありがとうございました。」だと冷たい感じがして「ありがとうございました」と、マルのない方がよいといいます。同じことを伝えているのに、なぜマルのありなしで言葉のニュアンスが違ってくるのでしょうか。
 日本語表記において、句読点が使われ始めたのは明治以降のことです。この背景には、英語のカンマやピリオドの影響や、活字の導入があったと考えられています。言葉の意味内容を正確に伝えるためには、句読点といった符号は有用です。
 正確さや分かり易さの対極にあるのが、和歌や俳句を書く場合です。句読点を用いないばかりか、濁点や半濁点といった符号を省くことさえ定石です。言葉の区切れのよいところで改行することは不要であり、散らし書きに至っては、言葉の順序を上下左右逆にすることもあります。
 中古の時代の雅びで意味深長な和歌なら、和紙に繊細なタッチで書くことによって、その言葉を美しく豊かに表現出来ます。配字(布置)や余白、線の太細、潤渇、文字のくずしぶりといった多様で複雑な要素が、字義だけでなく、その歌の何たるかの趣きを伝えます。
 法律の条文など、言葉や文の解釈に幅を持たせない方がよい場面では、句読点は必要となるでしょう。一方、個人の心情といった微妙なニュアンスを伝えるのなら、その文字の持つ意味のみでなく、それを取り巻く要素の表現や、受け取る側に頭をひねってもらうことも大切になってきます。ここには何を伝えるかだけでなく、どう伝えるかという観点が加わってきます。
 個人どうしの言葉のやりとりが、機械で打ち出された身体性を伴わない文字で行われる昨今、上手に伝えることの難しさの一端を、マルハラという現象は物語っているのかも知れません。手書き文字はしごく雄弁であり、また未来のコミュニケーション手段であると私は考えています。