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<title>書家／川原世雲　巻頭言</title>
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<description>書家／川原世雲　巻頭言月刊競書誌「実り」に掲載されている川原世雲会長のエッセイ。毎月更新。ごらんになった後はウインドウを閉じてください。＜東京書芸協会＞https://www.shogei.jp/</description>
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<title>作品の上下の余白について（2026年7月号）</title>
<description>　書を学ぶ上で、作品の余白について知ることは大切です。紙面に対して文字が大き過ぎれば平面的になり、逆に小さくなり過ぎれば暗く見えてしまいます。特に上下の余白には配慮が必要です。実用書式では、挨拶状、表札、便箋などを書く場合、一般に少し上を広く下を狭くとります。賞状などは枠の中央に文面を書きますが、賞状の飾り枠自体が上が広く下が狭く作られています。条幅作品も上下の余白を同じように書くことが多いのですが、これを軸装、額装する時は上を広めに下を狭めの表具を施します。短冊などを書く際..</description>
<dc:subject>2026</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
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　書を学ぶ上で、作品の余白について知ることは大切です。紙面に対して文字が大き過ぎれば平面的になり、逆に小さくなり過ぎれば暗く見えてしまいます。特に上下の余白には配慮が必要です。実用書式では、挨拶状、表札、便箋などを書く場合、一般に少し上を広く下を狭くとります。賞状などは枠の中央に文面を書きますが、賞状の飾り枠自体が上が広く下が狭く作られています。条幅作品も上下の余白を同じように書くことが多いのですが、これを軸装、額装する時は上を広めに下を狭めの表具を施します。短冊などを書く際も少し上を広めに下を狭めにとります。　　<br />なぜ上を広く下を狭くするのかといえば自然の風物に倣い、上を天、下を地と捉えているからという説があります。色紙などの柄は上に空の色の青、下に地面の色の茶色を描きます。また、実際のところ上下の余白が均しいと、書かれた文字の座りが悪いように感じられます。<br />　ただし、上を狭く下を広めにとる書式が二つあります。扇面と扁額です。扇面は上の空間が下の空間よりも広くなるため、この空間を生かし、上方に書きます。扁額は見上げるという前提で上を狭く、下を広く、少し虹のような弧の形を描いて書きます。　<br />　このように作品の余白をいかにとるかによって、書かれた文字が生かされてくるかどうかが決まってきます。文字を美しく書く学びの中で、この余白について考えることは重要です。<a name="more"></a>

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<title>展覧会出品の薦（すす）め（2026年6月号）</title>
<description>　四年に一度の書展、東京書藝展が令和九年六月八日（火）～十三日（日）の六日間に亘り開催されることとなりました。会場は平成十二年より毎回会場とする東京池袋の東京芸術劇場です。前回の令和五年四月の展覧会の写真を見ると、開幕のオープニングセレモニーでは顔にマスクをしてテープカットを行っていました。コロナ禍のまだ収まりきらない中での開催であったことが想い出されます。今回の会期は設営準備の日も含めて一週間とゆとりがあり、より多くの方々の参観が期待されます。　東京書藝展の醍醐味はそのリア..</description>
<dc:subject>2026</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
<dc:date>2026-05-29T11:02:08+09:00</dc:date>
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　四年に一度の書展、東京書藝展が令和九年六月八日（火）～十三日（日）の六日間に亘り開催されることとなりました。会場は平成十二年より毎回会場とする東京池袋の東京芸術劇場です。前回の令和五年四月の展覧会の写真を見ると、開幕のオープニングセレモニーでは顔にマスクをしてテープカットを行っていました。コロナ禍のまだ収まりきらない中での開催であったことが想い出されます。今回の会期は設営準備の日も含めて一週間とゆとりがあり、より多くの方々の参観が期待されます。<br />　東京書藝展の醍醐味はそのリアル感です。博物館などを訪れれば過去の書の名品が展示されており鑑賞することが出来ますが、ガラス越しであったり、骨董的な価値はあるものの表具が古かったりと、作品と少し距離があります。東京書藝展はまず、自身が参加出来ます。教室で知っている人の作品もあり、あの人がこのような作品を書いたのか、といった背景も含めてライブ感が溢れます。互いの作品制作についての話題も盛り上がります。<br />　とはいえ、初めて出品しようとする方は、どこから手をつけてよいかと不安に思うこともあるでしょう。「実り」における課題は、手本があるものから、次には手本のない自運へと進んでいきます。展覧会ではまず、この課題を自分で探すところから作品制作が始まります。また作品をどう着飾らせるかといった表具の施し方も大切な作品表現の要素となります。用紙、用筆、用液のすべてを自分で決められる分、自由度が高くなります。選択肢が広いだけ難しいともいえますが、これが一つの作品を仕上げる楽しみともなります。んだときは指導の先生に相談してみて下さい。的確なアドバイスを受けることが出来るでしょう。学生部は、学年別の同一課題への挑戦となります。自分の作品制作の過程のみならず、他者の作品の鑑賞からも大きな収穫を得られるはずです。<br />　デジタルデトックスというように、デジタルのみでは解決の出来ない人間のリアルの感覚を見直す動きが広がってきています。手書きへの関心の高まりもこうした流れの一つといえるでしょう。第十五回東京書藝展への皆様のご参加を心よりお待ちしております。<a name="more"></a>

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<title>日本の文字は難しいか（2026年５月号）</title>
<description>　&quot;ghoti&quot; この英単語の読みと意味が何だか分かりますか。答えは「フィッシュ／魚」です。ちなみに英語の辞書を引いても出てきません。一体この英単語は何なのでしょうか。これは英語の綴りの難しさを揶揄したものです。英語の綴りには&quot;know&quot;「ノウ／知っている」や&quot;give&quot;「ギブ／与える」のように、発音には関係のないアルファベットが含まれていることが多くあります。こうした英語の不規則な綴りは、英語習得の難度を高めています。このような複雑な英単語の綴りを改革しようという運動が英語..</description>
<dc:subject>2026</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
<dc:date>2026-05-29T10:59:41+09:00</dc:date>
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　"ghoti" この英単語の読みと意味が何だか分かりますか。答えは「フィッシュ／魚」です。ちなみに英語の辞書を引いても出てきません。一体この英単語は何なのでしょうか。これは英語の綴りの難しさを揶揄したものです。英語の綴りには"know"「ノウ／知っている」や"give"「ギブ／与える」のように、発音には関係のないアルファベットが含まれていることが多くあります。こうした英語の不規則な綴りは、英語習得の難度を高めています。このような複雑な英単語の綴りを改革しようという運動が英語圏にあり、その主張の流れでこうしたジョークが生まれてきたのです。"ghoti" の"gh" は"enough" 「イナフ／十分な」の部分だから"f"、"o" は"women" 「ウイメン／女性」だから"i"、"ti" はnation" 「ネーション／国」だから"sh" ということで、これをつなげれば"fish" になるじゃないかという話です。つまり読みと綴りの複雑さを習得する意義はどこにあるのだ、もっとこの綴り方を簡単にすべきだという主張です。<br />　日本でも明治以降、多くの漢字を習得する負担から解放させるべし、という機運が高まりました。福沢諭吉（一八三五～一九〇一）は「文字之教」の中で、「二千カ三千ニテ沢山ナルベシ」と漢字節減論を展開しています。その薫陶を受けた東京師範学校教授の那珂通世（なかみちよ　一八五一～一九〇八）は、歴史的仮名遣いではなく、発音と仮名文字が一致する現代仮名遣いを重視していました。<br />　前出の英語の綴り方改革の動きの高まりは二十世紀以降で、日本の文字改革の動きと時期的に重なります。日本と英語圏で学ぶ小学生の卒業迄に習得する単語の数は一～二万語とほぼ同じです。十九世紀以前、文字を書くことは洋の東西を問わず手書きが当たり前の時代でした。二十世紀に入ると、文字は言葉を記録する記号としての位置づけに重きが置かれるようになります。<br />　そして二十一世紀の現在、再びこの複雑な文字を手書きすることについて注目が集まり始めています。英語の綴りがいかに複雑であるにせよ、その字形はアルファベット二十六文字の組み合わせに収斂れんします。一方、日本の文字は多くの漢字に加え、かな文字もあります。同じ難しいなら、書いて楽しくなり、それこそ「書道」に迄昇華しうる日本の文字にアドバンテージがあると考えることも出来るのではないでしょうか。<a name="more"></a>

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<title>何を伝えるか　どう伝えるか（2026年4月号）</title>
<description>　ＬＩＮＥの文章などに句点の符号を付けることを、マルハラと呼ぶといいます。「ありがとうございました。」だと冷たい感じがして「ありがとうございました」と、マルのない方がよいといいます。同じことを伝えているのに、なぜマルのありなしで言葉のニュアンスが違ってくるのでしょうか。　日本語表記において、句読点が使われ始めたのは明治以降のことです。この背景には、英語のカンマやピリオドの影響や、活字の導入があったと考えられています。言葉の意味内容を正確に伝えるためには、句読点といった符号は有..</description>
<dc:subject>2026</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
<dc:date>2026-03-27T09:23:52+09:00</dc:date>
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　ＬＩＮＥの文章などに句点の符号を付けることを、マルハラと呼ぶといいます。「ありがとうございました。」だと冷たい感じがして「ありがとうございました」と、マルのない方がよいといいます。同じことを伝えているのに、なぜマルのありなしで言葉のニュアンスが違ってくるのでしょうか。<br />　日本語表記において、句読点が使われ始めたのは明治以降のことです。この背景には、英語のカンマやピリオドの影響や、活字の導入があったと考えられています。言葉の意味内容を正確に伝えるためには、句読点といった符号は有用です。<br />　正確さや分かり易さの対極にあるのが、和歌や俳句を書く場合です。句読点を用いないばかりか、濁点や半濁点といった符号を省くことさえ定石です。言葉の区切れのよいところで改行することは不要であり、散らし書きに至っては、言葉の順序を上下左右逆にすることもあります。<br />　中古の時代の雅びで意味深長な和歌なら、和紙に繊細なタッチで書くことによって、その言葉を美しく豊かに表現出来ます。配字（布置）や余白、線の太細、潤渇、文字のくずしぶりといった多様で複雑な要素が、字義だけでなく、その歌の何たるかの趣きを伝えます。<br />　法律の条文など、言葉や文の解釈に幅を持たせない方がよい場面では、句読点は必要となるでしょう。一方、個人の心情といった微妙なニュアンスを伝えるのなら、その文字の持つ意味のみでなく、それを取り巻く要素の表現や、受け取る側に頭をひねってもらうことも大切になってきます。ここには何を伝えるかだけでなく、どう伝えるかという観点が加わってきます。<br />　個人どうしの言葉のやりとりが、機械で打ち出された身体性を伴わない文字で行われる昨今、上手に伝えることの難しさの一端を、マルハラという現象は物語っているのかも知れません。手書き文字はしごく雄弁であり、また未来のコミュニケーション手段であると私は考えています。<a name="more"></a>

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<title>筆記具の把持について（2026年3月号）</title>
<description>　七百万年程前、人類が直立し、両手の自由を得、やがてその手は道具を使いこなすようになります。二百万年程前から始まった石器の使用は、現代の筆記具を用いて文字を書くという、より巧緻な手指の運動へと進化します。サルも手で物を掴むことは出来ますが、人間のように親指と他の四本の指を向かい合わせて「つまむ」という動作は出来ません。人間の親指はサルと比べると長く、この対向機能により筆記具を「把持」することが可能となっています。　この「つまむ」運動は、器用に道具を使いこなすのに重要な役割を果..</description>
<dc:subject>2026</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
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　七百万年程前、人類が直立し、両手の自由を得、やがてその手は道具を使いこなすようになります。二百万年程前から始まった石器の使用は、現代の筆記具を用いて文字を書くという、より巧緻な手指の運動へと進化します。サルも手で物を掴むことは出来ますが、人間のように親指と他の四本の指を向かい合わせて「つまむ」という動作は出来ません。人間の親指はサルと比べると長く、この対向機能により筆記具を「把持」することが可能となっています。<br />　この「つまむ」運動は、器用に道具を使いこなすのに重要な役割を果たしています。人間の体の運動を司る脳の領域の中で、親指は、とりわけ広い領域を占めています。また、親指と、他の四本の指の動きを司る領域は重複しており、脳の機能から見ても、親指と他の指を協調させて道具を使いこなすことが、脳を大きく動かすことにつながることがわかります。筆記具を把持して文字を書くということは、単に指の細かい運動を行っているだけではなく、「言葉」も同時に司っていることになります。手指の運動と言語の関係は、脳において密接です。言語中枢といわれるブローカ野は、手指の運動を司る脳の領域のすぐ下方にあり、心臓から送られる血流の供給経路を考えれば、この関係は明らかです。ただし、脳はそれ自身、知覚や痛覚がなく、また外からその活動のようすが見えるものでもないため、普通この関係を実感することは出来ません。<br />　筆記具の正しいとされる把持の仕方は、掌てのひらにピンポン玉が入る位の空間をとり、親指と人差し指と中指で包み込むようにして支えるというものです。これなら親指と他の指を協調させながら細かく筆記具を操ることが出来ます。砂に人差し指で書いても指で文字を書いていることにはなりますが、ここには親指との対向機能が作用していません。また、パソコンでタイピングして文字を打つ際もこの「把持」という運動は行われません。正しいとされる筆記具の把持の仕方は、手指の動きを司る前頭葉の大きな活動を促す可能性があります。最近、手書きは「思考」を深めるのによい、という言葉をよく聞くようになりました。この思考を始めとした人の高次な機能を使いこなそうとするのなら、正しいとされる筆記具の把持の仕方は大変お得と言えるわけです。<a name="more"></a>

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<title>ローマ字とは何か（2026年2月号）</title>
<description>　昨年の十二月、ローマ字表記の基本となるルールの変更がありました。実に七十一年ぶりとなる内閣告示による変更です。ポイントは「訓令式」軸から、現在広く使われている「ヘボン式」軸へのルール変更です。　ヘボン式と訓令式では、その表記が少し異なります。例えば、訓令式で「し」「ふ」「じ」の音を表記するなら、「ｓｉ」「ｈｕ」「ｚｉ」ですが、ヘボン式なら「ｓｈｉ」「ｆｕ」「ｊｉ」です。パソコンで「ｓｉ」「ｓｈｉ」とタイピングすると、共に「し」という日本語の仮名文字に変換されます。　ヘボン式..</description>
<dc:subject>2026</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
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　昨年の十二月、ローマ字表記の基本となるルールの変更がありました。実に七十一年ぶりとなる内閣告示による変更です。ポイントは「訓令式」軸から、現在広く使われている「ヘボン式」軸へのルール変更です。<br />　ヘボン式と訓令式では、その表記が少し異なります。例えば、訓令式で「し」「ふ」「じ」の音を表記するなら、「ｓｉ」「ｈｕ」「ｚｉ」ですが、ヘボン式なら「ｓｈｉ」「ｆｕ」「ｊｉ」です。パソコンで「ｓｉ」「ｓｈｉ」とタイピングすると、共に「し」という日本語の仮名文字に変換されます。<br />　ヘボン式は、明治十八年、ローマ字運動の団体「羅ロ ー馬マ 字会」が決めたつづり方です。ヘボンと名のついた由縁は、明治時代「和英語林集成」を編集したＪ・ヘボン（一八一五～一九一一）によりますが、ヘボンの役割は、この辞書の第三版で、この羅馬字会の作ったスタイルを採り入れていたに過ぎません。訓令式は一九三七年、内閣訓令第三号として公表されたもので、ａ、ｉ、ｕ…を母音の列、ｋ、ｓ、ｔ…を子音の行とする理論的な組み合わせによります。この訓令式軸のローマ字表記のルールが八十八年も続いてきたわけですが、この訓令式が始まる迄は、曲折がありました。例えば「ｃｈｉ」と表記する場合、英語なら「チ」です。ドイツ語なら「ヒ」、フランス語なら「シ」、イタリア語なら「キ」という発音になるのだから、日本独特のルールがあるべきだといった議論です。現在、「東京」なら「Ｔоｋｙо」、「柔道」なら「ｊｕｄо」といった表記が定着しており、今回の変更では、こうした表記はそれを尊重するというスタンスをとっています。ただし、これらのローマ字表記は、パソコンでタイピングしても「東京」「柔道」と変換されません。<br />　意味とその音が未分離のまま表記される文字を表語文字と言います。表語文字の代表格は漢字ですが、アルファベットでつづられる単語も様式に違いはあるものの、表語文字と捉えることが出来ます。漢字かなの交ぜ書きを行う視覚認識性と造形美に溢れた日本語を手書きする豊かさについて考える時節が到来しているように感じています。<a name="more"></a>

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<title>古典学習の要諦（2026年1月号）</title>
<description>　書の古典としてよく習われるものに、漢字書なら王羲之「蘭亭叙」、虞世南「孔子廟堂碑」、欧陽詢「九成宮醴泉銘」、空海「風信帖」、藤原佐理「離洛帖」、小野道風「屏風土代」、かな書なら伝藤原行成「粘葉本（でっちょうぼん）和漢朗詠集」、伝紀貫之「高野切（こうやぎれ）」、同「寸松庵色紙」等々が挙げられます。古典は書を学ぶ上で大きな手がかりとなる一方で、そこから何を学ぶかという点で注意しなければならないことがあります。　習書の規範とされる前出のような古典には、共通の要件が備わっています。..</description>
<dc:subject>2026</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
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　書の古典としてよく習われるものに、漢字書なら王羲之「蘭亭叙」、虞世南「孔子廟堂碑」、欧陽詢「九成宮醴泉銘」、空海「風信帖」、藤原佐理「離洛帖」、小野道風「屏風土代」、かな書なら伝藤原行成「粘葉本（でっちょうぼん）和漢朗詠集」、伝紀貫之「高野切（こうやぎれ）」、同「寸松庵色紙」等々が挙げられます。古典は書を学ぶ上で大きな手がかりとなる一方で、そこから何を学ぶかという点で注意しなければならないことがあります。<br />　習書の規範とされる前出のような古典には、共通の要件が備わっています。まず精細な点画の書きぶりです。手指の巧緻な運動を以て書かれているということです。次に線の表情の豊かさです。書は目に見える音楽というように言葉を具現化したようなリズム性に富む運筆で線を描きます。線の長短や太細（たいさい）のメリハリも大きく、ダイナミックな変化をつけながら、結局は全体としてそれを調和させています。字形のバランスも重心が上がったと思ったら今度は下がったり、左に振れたら、右に振れたりと、造形的にも単調さを避けています。こうした様々な書の表現要素を以て「言葉」を表現しているという点では、文学と芸術の双方の要素を併せ持つ、東洋の誇るべき文化に違いありません。<br />　古典の一点一画や運筆には、一文字あるいは全体において、なぜそう書くかについて考えることが大切です。例えば短い線が続いたら、今度は長い線になったり、細い線が続いたら、太い線が出てきたりします。右に大きく張り出した線があったら、数文字後に左に張り出した線が描かれたりします。つまり、部分部分が全体の中でそれぞれしかるべき役割を演じているわけです。ですから一点一画だけ、もしくは一文字一文字だけを抜き出して、これが古典の書だから絶対に正しい、というのではなく、全体の中で、部分の働きについて考えていくことが古典臨書の学習では必要となります。<br />　以上のように、古典からは学ぶべき事柄は多いのですが、古典を臨書さえしていれば、その真髄まで会得出来るかについては疑問が残ります。古典の臨書をしていても、いざ自分で手紙を書こうとすると、古典の書とは程遠い作となれば、古典から何を学び得ているか分かりません。芭蕉の言葉に「古人の跡をもとめず古人のもとめたる所をもとめよ」とありますが、古典から学ぶためにも日頃自ら言葉を書として紡ぎ出していくことをお勧めします。<br />　日本人は日常、漢字かな交り文で文章を書きます。漢字かな交りの確固たる古典はなく、今後の課題ともされています。古典とは歴史の評価に耐え時空を越えて生き残ったものです。年頭にあたり、古典から学び、新しい古典を創り出す気概をもって書に取り組んでいくことを是としたいと思います。<br /><br /><a name="more"></a>

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<title>書いて覚える（2025年12月号）</title>
<description>　四月の入学を控え、これから受験のシーズンが始まります。予備校や学習塾の広告では、真剣な面お も持も ちで筆記具を手にする受験生の姿をよく目にします。たとえ、試験がマークシート形式であろうと、受験生の知識や思考力を試す場面では、書いて覚えることが大切にされています。　人の記憶は大きく「技の記憶」と「陳述的記憶（頭で覚え、言葉や図形で表現できる記憶）」に分けられます。前者は小脳が、後者は海馬が中心的な役割を果たしていますが、人がこのような記憶をどのように貯えているかについて、ま..</description>
<dc:subject>2025</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
<dc:date>2025-12-31T20:13:49+09:00</dc:date>
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　四月の入学を控え、これから受験のシーズンが始まります。予備校や学習塾の広告では、真剣な面お も持も ちで筆記具を手にする受験生の姿をよく目にします。たとえ、試験がマークシート形式であろうと、受験生の知識や思考力を試す場面では、書いて覚えることが大切にされています。<br />　人の記憶は大きく「技の記憶」と「陳述的記憶（頭で覚え、言葉や図形で表現できる記憶）」に分けられます。前者は小脳が、後者は海馬が中心的な役割を果たしていますが、人がこのような記憶をどのように貯えているかについて、まだ完全に明らかになっているとはいえません。<br />　人の記憶について有力なのがシナプス説です。脳の神経細胞間の接続部、すなわちシナプスが外界からの刺激によって変化し、その数や面積が増え、能率がよくなり、これが固定化することで記憶の回路が形成されるというものです。このシナプスをたえず変化させ、記憶として貯えているというのが記憶のシナプス説です。<br />　聞いたり、読んだりすることで知識は得られます。ただし、書くことによって、その知識を記憶として残しうることを、このシナプス説は示唆しています。ノートをとることは、知識を記録するだけではなく、大脳皮質の運動野の半分近くを占める手指の細かい動きに関する神経細胞を動員させつつ、空間の構築性、リズム性といった機能の活動を伴いながら大脳全体で知識を消化吸収していきます。書くことはこうした知識を深い思考や知恵へと昇華させていく可能性に溢れているのです。<br />　配字や字形、運筆の滑らかさといった、美しく書くことを併せれば、脳の神経細胞はさらに多く動員され、記憶の定着に資するということが、このシナプス説からは考えられます。経験則から行われてきた「書いて覚える」ことに、今脳科学からの視点が加わり始めています。知ること、学ぶことが楽しく行われるためにも、美しく書いて覚えることをお勧めしたいと思います。<br /><a name="more"></a>

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<title> 草書体を学ぶ意義　（2025年11月号）</title>
<description>　草書が書けなければ手紙が書けない、という言葉があります。文字数の多い手紙文を書くには、連書きが可能な草書体が向いているのは確かですし、もう一つの側面、息の長い表情性豊かな線が書けるため、その人の肉声のような言葉のニュアンスが伝え易いという点があります。　タイピングの活字による言葉のやりとりには、肉声同様、肉筆といったその人個人の身体性の要素が含まれません。文化庁が二○二四年度に行った「国語に関する世論調査」では、ＬⅠＮＥやＸなどといったＳＮＳの利用において「やり取りが面倒に..</description>
<dc:subject>2025</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
<dc:date>2025-12-31T20:12:13+09:00</dc:date>
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　草書が書けなければ手紙が書けない、という言葉があります。文字数の多い手紙文を書くには、連書きが可能な草書体が向いているのは確かですし、もう一つの側面、息の長い表情性豊かな線が書けるため、その人の肉声のような言葉のニュアンスが伝え易いという点があります。<br />　タイピングの活字による言葉のやりとりには、肉声同様、肉筆といったその人個人の身体性の要素が含まれません。文化庁が二○二四年度に行った「国語に関する世論調査」では、ＬⅠＮＥやＸなどといったＳＮＳの利用において「やり取りが面倒に感じることがある」と答えた人の割合が、20、30代で６割近くになり、他の世代より高くなったと報告しています。20、30代といえば、物心ついた頃から、タイピングによる活字の文字で言葉のやりとりをしてきた世代です。「ＳＮＳでは相手の考えや感情が分かりにくい」と答えた人は、16～19歳で75％にも上っています。<br />　タイピングの歴史が日本よりも百年早いイギリス、フランス、アメリカといったアルファベット文化圏では、一九○○年頃までCursive writing（草書体・つづけ文字）の学習が重視されていました。ちなみに日本の楷・行・草に正確に相当する英語表記はありませんが、およそ楷書がManuscript（Print）writing、行書がSemi-Cursive writing となります。タイプライターが普及する迄は、実用的な必要から、つづけて速く書けることが求められていたのです。一九○○年以降、欧米はManuscript writing 重視へと移行しますビジネスという実用の場面でタイピングが大きなウェートを持つに至ったからというのが理由です。そして二○○○年頃以降、欧米は、再びCursive writing 重視の教育へと方向を転換しています。ＳＮＳといった、身体性のない言語コミュニケーションの喪失の観点のみならず、手で文字を書くことにおける欧米の知見の積み重ねが影響しているようです。<br />　日本語を流れよく、美しく書くことについて考えることは、世界的な潮流を鑑みるに、身近な話題ながら大切な事柄かと思います。<br /><br /><a name="more"></a>

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<title>絵文字と六書（りくしょ）（2025年10月号）&lt;br /&gt;</title>
<description>　中国で漢字の祖先である甲骨文字が使われ始めたのは、今から三千五百年程前です。それより前も、メソポタミアの楔くさびがた形文字は、今から五千年程前に使われ始めていました。楔形文字の原形とされるアラム文字（古拙文字）は、物の形を象かたどったいわゆる絵文字です。アラム文字の頃は、単語を羅列したに過ぎないごく短い文でしかありませんでした。　この最古の文字は、現在我々が使っている漢字と非常に似ている点があります。お椀を三つ逆さまにして「山」を表す「象形」。顔の絵にパンを描いて「食べる」..</description>
<dc:subject>2025</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
<dc:date>2025-12-31T20:08:08+09:00</dc:date>
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　中国で漢字の祖先である甲骨文字が使われ始めたのは、今から三千五百年程前です。それより前も、メソポタミアの楔くさびがた形文字は、今から五千年程前に使われ始めていました。楔形文字の原形とされるアラム文字（古拙文字）は、物の形を象かたどったいわゆる絵文字です。アラム文字の頃は、単語を羅列したに過ぎないごく短い文でしかありませんでした。<br />　この最古の文字は、現在我々が使っている漢字と非常に似ている点があります。お椀を三つ逆さまにして「山」を表す「象形」。顔の絵にパンを描いて「食べる」を表す「会意」。線の交叉によって「敵」「他人の」「別の」を表す「指示」。意符の卵と音符の「ギグ」で「小麦」を表す「形成」。納屋を表す「が」の音を転用して「置く」「作る」とする「仮借」。原意の「太陽」から「白い」「清い」などへ転用する「転注」といった文の構成法です。この構成法は漢字では六書（りくしょ） といいます。漢字より千五百年も昔なので、このアラム文字が甲骨文字のヒントになったのではないかと考えたくなりますが、甲骨文字が使われ始めた頃、既にアラム文字は楔形の文字になっており、また地理的にも隔絶されているため、甲骨文字は、アラム文字とは別に発生したと考えることが妥当でしょう。<br />　人類は、文字を発明し、これをどう使いこなしていこうかと考えた末、それは六書という智恵に行き着きました。人に備わる思考の普遍性を感じると同時に、今の文明を生み出した、この文字について考えなくてはならない時期が到来していると思います。この文字に取り組み、輝かしい軌跡を描いてきた方々のお名前が今月号では掲載されています。文字を手書きすることは、未来を拓くために非常に大切なことであるはずです。皆様の益々のご活躍を心より祈念しております。<br /><br /><br /><a name="more"></a>

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<title>日本の文字を書く豊かさ（ ２ ）（2025年９月号）</title>
<description>　今日の世界各地で用いられている文字体系は、漢字体系とアルファベット体系、それに若干の独立的体系に大別されます。中国で生まれた漢字体系を除き、象形文字として誕生した数々の古代文字は現在使われなくなっています。　紀元前一三〇〇年前後から使われ始めたという甲こうこ骨つ 文字は、現在の漢字と形が違うだけで、文字としての使用の仕方はほとんど同じです。漢字はその基本的なシステムを変えずに、今日も、世界中で何億という人々が使用しています。このように三千年以上も前に書かれた文章が、文字の書..</description>
<dc:subject>2025</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
<dc:date>2025-12-31T20:05:45+09:00</dc:date>
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　今日の世界各地で用いられている文字体系は、漢字体系とアルファベット体系、それに若干の独立的体系に大別されます。中国で生まれた漢字体系を除き、象形文字として誕生した数々の古代文字は現在使われなくなっています。<br />　紀元前一三〇〇年前後から使われ始めたという甲こうこ骨つ 文字は、現在の漢字と形が違うだけで、文字としての使用の仕方はほとんど同じです。漢字はその基本的なシステムを変えずに、今日も、世界中で何億という人々が使用しています。<br />このように三千年以上も前に書かれた文章が、文字の書体を置き変えるだけで現代でも容易に解読が可能なのは世界でも漢字だけなのです。<br />　一方、アルファベット体系は、古代エジプト文字の影響を受けて成立したとされます。現代でも使われているものとしてはアラビア文字、モンゴル文字、エチオピア文字もこのアルファベット体系の中にあります。アルファベット体系の優れた点は、その文字の少なさにあります。それを横に並べて「語」を作り、同時にその語の中に表音的な要素を加える点です。<br />　脳の失患の研究によると、アルファベットを使う人と漢字を使う人では異なる症状を呈することがあり、文字を使いこなす脳内経路がアルファベットと漢字では違うと考えられています。漢字はアルファベットから見たら象形性の残る古風な文字と写ることもありますが、見方を変えれば、空間の複雑な構築性という脳の働きを伴いながら、同時に言語活動という高次な脳の活動が期待出来るわけです。<br />　最近アルファベット圏の人々の間では漢字が人気と聞きます。英語なら「Ｉ」としか書けない「自分」が、「我」と表現されるところなどに魅力を感じるそうです。日本の文字は漢字と仮名を交ぜ書きします。この「表語文字」と「表音文字」の交ぜ書き体系は、古代エジプトの文字であるヒエログリフと似ており、これも興味深いところです。自らの思考を深め、創造性溢れる活力のある社会を築こうとするのなら「書」をすることは非常に頼もしい相棒になること間違いないでしょう。<br /><a name="more"></a>

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<title> 日本の文字を書く豊かさ（１）（2025年８月号）</title>
<description>　英語で使用するアルファベットは、紀元前一五○○年頃、地中海沿岸のフェニキアで生まれました。Ａ、Ｂ、Ｃ…などといった基本的な文字を三十程覚えればどんな言葉でも書き表すことが出来るようになったのです。それ以前、古代エジプトでは、子供達でも何百ものヒエログリフ（古代エジプトの文字）を学ばなくてはなりませんでした。メソポタミアの書記たちも六百という数の楔形文字を使いこなさなくてはなりませんでした。現在でも漢字なら、かな文字を併用する日本語でも常用で二千程、漢字のみで言葉を書き表す中..</description>
<dc:subject>2025</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
<dc:date>2025-12-31T20:03:52+09:00</dc:date>
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　英語で使用するアルファベットは、紀元前一五○○年頃、地中海沿岸のフェニキアで生まれました。Ａ、Ｂ、Ｃ…などといった基本的な文字を三十程覚えればどんな言葉でも書き表すことが出来るようになったのです。それ以前、古代エジプトでは、子供達でも何百ものヒエログリフ（古代エジプトの文字）を学ばなくてはなりませんでした。メソポタミアの書記たちも六百という数の楔形文字を使いこなさなくてはなりませんでした。現在でも漢字なら、かな文字を併用する日本語でも常用で二千程、漢字のみで言葉を書き表す中国では五千程必要です。アルファベットが世界の文字の歴史上、大きな革命であったことは明らかです。<br />　アルファベットは、それぞれ「エー」「ビー」「シー」と読む表音文字ですが、それらを組み合わせることによって「語」を形成することから、広い意味で捉えるのなら「表語文字」ということになります。例えば「ナイフ」と書くのなら「naifu」ではなく「knife」ですし、「マウンテン」なら「maunten」ではなく「mountain」です。アルファベット表記の英語は、我々がパソコンで文字をローマ字入力する際使うアルファベットと使い方が異なります。「海」が「sea」であるのに対し「見る」が「see」で、まったく発音が同じながら、視覚的にその形で区別が出来ます。アルファベットを横に並べることで、その「音」だけではなく「形」によってもそれを言葉として表わしているのです。<br />　こうした英単語の形、つまりスペルを覚えるのは、漢字を覚えるのと同じく、学生は苦労します。英語圏では高校を卒業する迄に二千程の単語を修得しなくてはなりません。この数は日本の常用漢字とほぼ同じです。これら英単語が今のスペルで書かれるようになったという経緯は、慣行、もしくはなり行きでそうなったもので、厳密な法則はありません。ただ同じ苦労して覚えるのなら、２６のパーツを横に並べるだけの英語よりも手書きして美しく書くことが楽しくなるような漢字の方に軍配が上がるという見方も出来るでしょう。<a name="more"></a>

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<title>喜ばしき誌上展（2025年7月号）</title>
<description>　第七回実り誌上展号が刊行となりました。出品要項の配布が昨年の十月ですから、足かけ十ヶ月の間、誌上展に向けて活動してきたことになります。作品の制作にあたられた方はもとより、審査、編集等々、多くの方々の御協力を戴き、本号が完成するに到りましたこと厚く御礼申し上げます。　書は言葉であり、造形であり、運筆のイントネーション性や細かい手指の動きまでも伴う東洋の芸術の粋です。書をして「最後の芸術」と言わしめたのは彫刻家であり詩人でもあった高村光太郎です。現在、文字を書くことの研究は急速..</description>
<dc:subject>2025</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
<dc:date>2025-12-31T20:00:58+09:00</dc:date>
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　第七回実り誌上展号が刊行となりました。出品要項の配布が昨年の十月ですから、足かけ十ヶ月の間、誌上展に向けて活動してきたことになります。作品の制作にあたられた方はもとより、審査、編集等々、多くの方々の御協力を戴き、本号が完成するに到りましたこと厚く御礼申し上げます。<br />　書は言葉であり、造形であり、運筆のイントネーション性や細かい手指の動きまでも伴う東洋の芸術の粋です。書をして「最後の芸術」と言わしめたのは彫刻家であり詩人でもあった高村光太郎です。現在、文字を書くことの研究は急速に進んでおり、高村光太郎のこの直感的な言葉にも科学的な裏付けがなされるかも知れません。出品された方々はそれぞれの視座から、この「書」と組みしており、その真摯な姿勢に深く敬意を表したいと思います。<br />　今回の誌上展は令和七年の七月号の第七回誌上展で、加えて五七〇号と、奇しくも七という数字に縁のある特別号となりました。喜寿といえば七十七歳の異名ですが、これは「喜」の文字の草書体に由来します。皆様の書に対する取り組みが、喜ばしきことにつながることを心より祈念しております。<br /><a name="more"></a>

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<title>書とともに年を重ねる（2025年6月号）</title>
<description>書作品の落款で「八十八叟○○書」（○○は書いた人の名前）などと書かれているものを見たことがありませんか。「叟」の字は「老人」もしくは「翁」を意味する漢字です。ですからこれは「八十八歳の老人である○○が書いた作品です」という意味です。年齢を作品に書くことはよくありますが、青年や壮年世代の場合、このように年齢を記すことはほとんどありません。八十八歳にして、このような力強い文字が書けるといった、年齢が作品表現の一つの要素となる場合にそれが生きてくるからです。　逆に年齢が低い場合、作..</description>
<dc:subject>2024</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
<dc:date>2025-07-02T23:25:56+09:00</dc:date>
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書作品の落款で「八十八叟○○書」（○○は書いた人の名前）などと書かれているものを見たことがありませんか。「叟」の字は「老人」もしくは「翁」を意味する漢字です。ですからこれは「八十八歳の老人である○○が書いた作品です」という意味です。年齢を作品に書くことはよくありますが、青年や壮年世代の場合、このように年齢を記すことはほとんどありません。八十八歳にして、このような力強い文字が書けるといった、年齢が作品表現の一つの要素となる場合にそれが生きてくるからです。<br />　逆に年齢が低い場合、作品に「幼年」とか「小学○年」「中学○年」などと書きます。この年齢でこれだけ立派な文字が書ける、といった点でこれもまた作品の評価の要素として効いてくるわけです。<br />　「叟」の文字が落款に入った書作品は、博物館や記念館などを訪れるとよく展示されています。中林梧竹（一八二七～一九一三）は幕末から明治にかけての書家です。その落款には「八十五叟梧竹書」とあります。梧竹は八十七歳で没していますが、当時としては長命の方で、その空間支配の雄大さ、点画の緻密な書きぶり、強健な筆力、そのどれをとっても充実した書生活を送ってきたことが分かります。<br />　文字を手書きする上で、脳の中で使わない領域はないかとも思われるといいます。また欧米の研究によると、アルツハイマー病などによる認知能力の低下局面においては、手書きの文字にそれが必ず表れてくるといいます。書を能くするということは、幼少の頃はその脳を育み、老境に至ればまたそれと向き合い、自らと対峙していくことが出来ます。青年や壮年といった世代は、この年齢を書の表現に加味していくことはしないのですが、日々の生活の中で、自らの表現手段として手書きしていくことが大切です。手書きを続けるささやかな心掛けで、書と共に年を重ねていくことが楽しみになることでしょう。<a name="more"></a>

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<title>日常の筆書きに宿る日本の力（2025年5月号）</title>
<description>先日、ある政治家が式典で来賓としてお話しをする場面をテレビで見ました。胸には下に白い布と赤いリボンのある造花をつけていました。これは胸花リボンと呼ばれ、下の白い布の部分は所属や肩書き、名前などを書き入れるところです。ところがその映像を見るに、白い布には名前など書いておらず真白のままでした。また別の日、テレビのドラマを見ていたら、作中の人物が胸花リボンをつけているのですが、これもリボンに文字が書かれておらず白いままでした。プラスチックケースに名刺大の紙を入れて、そこに名前などを..</description>
<dc:subject>2024</dc:subject>
<dc:creator>川原世雲</dc:creator>
<dc:date>2025-07-02T23:24:02+09:00</dc:date>
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先日、ある政治家が式典で来賓としてお話しをする場面をテレビで見ました。胸には下に白い布と赤いリボンのある造花をつけていました。これは胸花リボンと呼ばれ、下の白い布の部分は所属や肩書き、名前などを書き入れるところです。ところがその映像を見るに、白い布には名前など書いておらず真白のままでした。また別の日、テレビのドラマを見ていたら、作中の人物が胸花リボンをつけているのですが、これもリボンに文字が書かれておらず白いままでした。プラスチックケースに名刺大の紙を入れて、そこに名前などを表記するものを胸章といいます。胸花リボンはこの胸章に華やかさを添えたものであり、下の白い布は飾りではなく本来なら文字を書くところであるはずです。<br />　なぜ度々このようなことが起こるのかを考えるに、布に文字を美しく書くことの出来る人が少なくなったからではないのでしょうか。紙ならプリンターで出力すればよいでしょうが、小さな布に印字出来るプリンターは身近にはありません。文字を「書く」ということがボタンや画面にタッチして行われることが日常となった今日、布に筆で名前を書くことのハードルが高くなってきているのかもしれません。<br />　ちなみに布に筆で文字を書く場合、普段使っている墨汁でそのまま書くとにじんでしまうことがあります。そのためにじみの少ない墨汁やポスターカラー、絵の具を使ったりします。それでもにじんでしまう布には白チョークで目止めを施してから書きます。胸花と白い布に書かれた名前が調和すれば、会合の格調も上がることでしょう。最近も本会で受けた筆耕の仕事で、数十枚の胸花リボンの筆書きの名入れが大変好評であったとのこと、喜ばれて嬉しいものの、日本人は自らの手で文字を書くことを忘れてしまったのかとさびしくもなりました。<br />　以前でしたら式典や会合で一人や二人は筆を持ってその場で書き物をしたものです。日常の筆書きには日本の力が宿っているように思えてならない今日この頃です。<a name="more"></a>

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